生命のメッセージ   

 日々生きていると、人は何処からか様々なメッセージを受け取っているのではないかと思います。
 たとえば、朝目覚めるときにぼんやりと覚えていた夢や、通勤電車の中で耳にとまった会話の中の言葉、ご無沙汰していた友達からの久しぶりのメール・・・と入ってくる情報を挙げればきりがありませんが、なぜかとても気になったり、ハッキリと湧き上がってくるイメージは「何らかのメッセージかな」と思うようになりました。

 昔話になりますが、中学生の頃、文化祭でつかう横断幕を作る係になり、大きな紙を家に持ち帰った
ことがあります。細かいことはもうよく覚えていないのですが、そのとき『君は何を望むか』という言葉が急に思い浮かび、ビックリするくらい大きく紙に書いて、次の日に学校に持って行きました。それを見たクラスの皆から「どういう意味?」なんて聞かれたりしましたが、自分でも意味がよくわからないままに、このメッセージを"皆に問いたい"といういう衝動が湧き起こったのでした。
 今でもふと、この言葉を思い出すときがあります。

 もうひとつ、忘れられないメッセージがあります。
 もう10年位前のことですが、主人の知人に、もうすぐ結婚を控えたとても仲の良いカップルがいました。今から思えば、ソウルメイト(魂の恋人)という言葉がぴったりな雰囲気の彼と彼女は、お互いを宝物のように大切に思い合っているようでした。
 それが、ふたりの結婚式の一週間前に、彼が交通事故で亡くなってしまったのです。
彼女は涙も枯れ果て、亡霊のようにやつれ果ててしまいました。一時は彼のあとを追って死のうと思い、食事すら出来なくなっていたようでした。
 そうして、何ヶ月か過ぎた後、私達夫婦の家を訪れてくれた彼女は、悲しみのなかにも精一杯の表情を見せてくれました。しかし、彼との思い出の話を聞けば聞くほど、なぐさめようのない無力感を感じます。それでもせめて彼に代わって"彼が彼女にプレゼントしたようなもの"を買って渡したいと思いました。
彼女に部屋で待っていてもらい、プレゼントを探し求め、何かひとことでもメッセージを書こうと、カードも買いました。しかし、いざ書こうとしても、彼女を励ます言葉など、ひとことも出てこなかったのです。
 「神さま、いったい彼女にどんな言葉を贈ればいいのでしょう?」と泣きながら心の中で問いました。そうして頭の中が空白になったとき、「生きていくことは大切なことです」というメッセージが聞こえてきたような気がしました。 帰り際に、精一杯のプレゼントとカードを手渡しながら、何か言おうとしても涙ばかりがあふれてくるのを止められない私を、抱きとめてくれたのは彼女のほうでした。

 そして時が過ぎ、新しい人生を生きるために税理士を目指して頑張る彼女から、几帳面な字が並んだ葉書が届くたびに、彼女が生きているということのかけがえのなさを感じます。

 私達の生命の根源から届くメッセージは、ときには厳しくときには優しく、いつもいつも「生きる」ということの不思議さや美しさを伝えてくれているようです。
そしてこれからの時代にはきっと、生命のふるさとのメッセージに支えられて、私達の天命の花がゆっくりと開花する日が訪れることでしょう。




白雪姫とスピリチュアリティ
 シカゴ在住の直感医療者キャロライン・メイスさんは、スピリチュアリティ、そして"人のもつ力"をテーマにして、国際的に人気を博する講演をされています。そのキャロライン・メイスさんの代表的な著書に「七つのチャクラ」「チャクラで生きる」(サンマーク出版・川瀬勝訳)があり、心と身体と魂についての非常に奥深い洞察と実例を挙げておられます。2001年の始めに出版された「チャクラで生きる」の本の最後のエピローグに、大変面白い話を書かれていますのでご紹介したいと思います。
 キャロラインさんがTVでディズニー版の『白雪姫と七人の小人』を見ていたときに、「実は、この童話は、癒しと霊的な目覚めに関する究極的な物語でもある」と気付かれたことから始まります。それでは、スピリチュアルな白雪姫の寓話の世界へ・・・。

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 女王が鏡の前に立っている。鏡とは、元型(アーキタイプ)でいえば自分自身の象徴だ。ディズニー版では、なぜかこの鏡のまわりの飾りには占星学の十二宮があった。女王がたずねる。「鏡よ鏡、この世でいちばん美しいのはいったい誰?」。鏡は、「白雪姫」と答える。

 白雪姫というのは、もしかすると女王の高次の自己の象徴であり、女王のほうは、物質崇拝と支配欲にとらわれた自我の象徴なのではないだろうか。女王が本当に言おうとしていたのは、自分では無視していたいことに気づかせられるので、高次の自己は抹殺せねばならない、ということなのだ。高次の自己なる存在は、つまるところ城の床を掃除している人間にすぎないではないか。この城の床とは、自己全体を象徴し、白雪姫は真の神秘家のごとく、すべてに神を見て、最も凡庸な作業にさえ、安らぎと満足感を感じているのである。

 女王は、白雪姫を殺し、その心臓を持ってくるよう猟師に命ずる。心臓とは、まさに、高次の自己と低次の自己とを統合する中心チャクラなのだ。感情に身体の部分を対応させるのは、何か新しい概念のように思ってしまうかもしれないが、体内の臓器である心臓が、神話でも、一般世間の話し言葉においても、真理や愛、つまり第4チャクラを構成する要素と関連づけられてきたのは、けっして偶然のことではない。

 白雪姫を殺すかわりに、もちろん猟師は彼女を森に逃がし、かわりに豚を殺して、その心臓を女王に持ち帰る。そして、白雪姫にとって、魂の闇夜が始まる。まわりの目におののきながら、森の一夜を過ごす。しかし、夜が明けるとともに、その目とは、自分を守っていた動物たちのものであったことに気づく。闇夜を終えた彼女は旅に出て、萱葺き(かやぶき)の小屋へと続く橋のところに出る。そして、橋を渡り(まさしく霊的な変容の古典的な象徴だ)、新しい自己を表す家に足を踏み入れる。ただちに掃除を始め、自分の考えにしたがって、そこにあるすべてを整理する。彼女の低次の自己である女王は征服されたのだ。

 山師である七人の小人たちが登場すると、白雪姫は、家に入る前に、まず身体を洗わせる。つまり、彼女は自分の七つのチャクラを発見し、ただちにその浄化を始めるのだ。インドのクンダリーニ・ヨガの達人は、まずチャクラを清め、浄化する。背骨の基底の部分に巻かれた形で横たわる聖なる生命力が、そこを上昇し、頭頂のチャクラに抜けていけるようにするためだ。この浄化は、祈りや瞑想を通じて徐々に行うこともできるし、あるいは、場合によっては、一瞬のうちに、ごく自然に起きることもある。いずれにせよ、それは、魂が開く予兆である。

 さて、城のほうでは、女王が自分の高次の自己はまだ生きていることを発見する。毒入りのリンゴを用意する。むろんリンゴは、聖書の創世記に、はっきりとその名前こそ出てこないものの、善悪の知識を象徴する禁じられた果実である。女王はそれを白雪姫に与え、食べた姫は深い眠りに落ちる。眠りながら、彼女は、元型の深淵世界へと降りていく。この元型的な眠りから目覚めるためには、彼女は自分の女性性と男性性(アニマ、アニムス)、王子と姫、つまり、自分の魂にある男の部分と女の部分とを融合させなければならない。その融合から、自己という存在自体が、そして高い意識をもった自己理解と癒しがよみがえってくるのだ。

 私たちの一人ひとりがもつ目標も、白雪姫とほとんど同じである。自我が高次の自己と闘おうとするのをやめさせ、自分の本質の内にあるさまざまな要素をひとつにして、自分の人生を自分で生きるよう、目を覚ますのだ。この旅の困難な部分、つまり、暗い夜をさまよい歩き、自分の気の中心点を清め、自分の精神の深淵へと降りていくこと・・・それはすべて、癒しという課題の鍵を握っている。
                          
                                キャロライン・メイス著「チャクラで生きる」より抜粋
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 このエピローグのお話の途中の、"白雪姫が「魂の闇夜」の暗い森の一夜を過ごした後、萱葺きの小屋へと続く橋を渡るところ"で、一読者である私まで、何とも形容しがたい胸の高鳴りを覚えました。
≪橋を渡る≫こと、それは霊的な変容の象徴、そしてこの橋は、もしかすると3次元から5次元への掛け橋ではないかと思いました。
 深い森を彷徨っていた白雪姫が何も持たず素足でスピリチュアルな掛け橋を渡るとき、3次元と5次元がつながっていくような気がします。そして今、私たちは誰もが、このスピリチュアルな掛け橋の渡り口の前に来ているようです。




  愛する地に住む   

 誰でも、なぜか心惹かれる土地があるのではないでしょうか。
8年程前に、私と夫はよく奈良の三輪山や山の辺の道に遊びにきていたのですが、訪れるごとにこの地に惹かれ、半年後には大阪市内から奈良へ引越しをしていました。「この地に住みたい!」そんなに強く思ったのは、生まれて初めてのことでした。
 三輪山のすぐそばの山の辺の道を、初めて訪れた日のことです。緑濃い樹々と透明な空気、せせらぎの音と小鳥の鳴き声が聞こえる風景の中で、何ともいえない安らぎを感じながらも、なぜかまだしっくりと溶け込めないもどかしさを感じました。ふと自分の姿を見てみたくなりコンパクトを覗き込むと、都会では似合う服・雑踏の中では当たり前のお化粧が、この風景の中では異質なものに映って見えたのです。そしてその時に、「いつか、この自然の風景の中にもっとしっくりと溶け込んでいたい・・・」と心から願いました。この地の自然の美しさが、「今までの自分の価値観を超えて、ほんとうのものに近づきなさい」と優しく呼びかけてくれているかのようでした。
 それから奈良の地に引越しした後には、夫と私の仕事や人間関係に大きな転機が訪れました。(お蔭様でTHDさんとの出会いもいただきました
♪)「人生って、ほんとにふしぎ!」昔、予想もしなかったようなことをしている自分によく驚いていることがあります。

 ある人が心惹かれる土地は、その人の心を目覚めさせ、人生の転機のきっかけとなることもあるようです。それはもしかすると、母なる地球・大地からのメッセージなので、人の心を無性に惹きつけるのかもしれませんね。
 愛する地に住み愛しい人々と出会い、人生が紐解かれていくとき、そこに天と地の優しいメッセージが隠されているのかもしれません。